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岐阜新聞花火の歴史

光と夢の軌跡

長良川全国花火大会の
歴史

光と夢の軌跡 長良川 全国花火大会の歴史

終戦の翌年の1946(昭和21)年に平和を誓い、復興を願って始まった岐阜新聞社、岐阜放送の全国花火大会は、昨年夏までに74回を数えます。清流長良川と金華山を舞台に繰り広げられる音と光の祭典は、昭和から平成、令和へと移り変わる時代の中で、変わらぬ夏の風物詩として県民の夢と希望を育んできました。全国花火大会の“光跡”をたどります。

1946年 終戦翌年、復興誓う

長良川全国花火大会の歴史 第1回大会

当時の岐阜タイムス社主催で開催された第1回大会は「全国煙火大会」の名で1946(昭和21)年8月10日に開催されました。「5寸玉5回早打ち競技」が行われ、全国の花火師が集い腕を競いました。
余興で2尺玉、尺玉、8寸玉などが岐阜の夜空に打ち上げられました。打ち上げが止まっている間は、郷土楽団が演奏を披露し、観衆の耳を楽しませました。近郷の人々は荷馬車を仕立て、近県からは増発列車で繰り込み、東京から外国人記者らも多数来岐しました。
翌年の第2回大会には長さ100メートルの「ナイアガラ大瀑布」が早くもお目見え、観衆を魅了しました。

第6回大会(1951年)には「スターマイン」が初めて登場し、100余発が一気に炸裂する圧巻の打ち上げ花火が詰めかけた観衆を驚かせました。

1955年 3尺玉 打ち上げ成功

長良川全国花火大会の歴史 尺玉 打ち上げ成功

1955(昭和30)年の第10回大会では第8、9回大会で連続して失敗していた3尺玉の打ち上げに成功し、岐阜の夜空に悲願の巨大な大輪を咲かせました。
当時の岐阜タイムスは「高度400~500メートルでズドンという炸裂音とともにパッと開いた七色の火の輪は見る間にグングンと広がり直径600メートル、文字通り満天を圧した」と迫力を伝えています。

1957年 全長1キロのナイアガラ

長良川全国花火大会の歴史 全長1キロのナイアガラ

長良川全国花火大会の歴史 全長1キロのナイアガラ

第12回大会(1957年)は全長1キロの「ナイアガラ大瀑布」が出現しました。川面を真昼のように照らし出し、青、赤、黄色と鮮やかに色彩を変える火の滝が会場を感動で包み込みました。
この大会では放浪の天才画家山下清さんが花火見物に訪れ、勇壮、華麗な岐阜の花火を描きました。

東京オリンピックが開催された第19回大会(1964年)は、スターマインで国際色豊かな「五輪ショー」を披露し、スポーツの祭典を盛り上げました。

オバQも巨人の星も

岐阜国体が開催された1965(昭和40)年の第20回大会では、20基のスターマインが炸裂、その迫力に大観衆がかたずをのみました。
岐阜テレビが誕生した1968年の第23回大会にはテレビの人気者・黄金バットや怪獣カネゴンの仕掛け花火が登場しました。翌年の24回大会にはマンガ主人公のオバケのQ太郎やゲゲゲの鬼太郎、巨人の星も登場して、子供らが目を輝かせました。

第28回大会(1973年)ではNHK大河ドラマ「国盗り物語」を花火で演出し、圧巻の岐阜城攻めに観衆が歓声を上げました。

スターマイン進化 夏の夜彩る夢空間に

長良川全国花火大会の歴史 スターマイン

長良川全国花火大会の歴史 スターマイン

スターマインが30基以上になるなど大会を重ねるごとにスケールアップしてきた全国花火大会は、第54回大会(1999年)でワイドスターマイン、スーパースターマインが県内初登場しました。
2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京などの各五輪では岐阜の空から熱いエールを送りました。
2011年3月に発生した東日本大震災により2年ぶり開催となった第67回大会(2012年)では、被災地の鎮魂と復興への願いを込めた大輪が夏の夜空を焦がしました。

新元号令和へ改元された昨年の第74回大会は、多彩な花火が県都の夜空を覆い新時代の幕開けを祝いました。